台中按摩脚

土地土地の名物というものがありますな。

台中足つぽ

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高美湿地

世界のトラベラーに大人気のウユニ塩湖
あんな感じのところが台中にある。
でもこの日はあいにくの曇り空と、体が傾くほどの強風で、鏡張りの景色は見ることができなかった。
湖の風は凄まじく、風車を大回転させている。

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台中 彩虹眷村

ある日、元国民党軍の外省人、黄永阜爺さんが暇つぶしに自宅に絵を描き始めた。

描き進むに連れて、自らの絵筆より生み出される極彩色に、黄爺さんは夢中になっていった。 描けば描くほど筆が進み、幼少の頃より黄爺さんの頭に巣食っていた幾つもの奇妙奇天烈な生き物たちや景色が際限なく描かれていった。

もはや自分の家や壁などのキャンバスでは足りなくなっていった。腕は唸りを上げて更に描くことを欲していた。
腕が意思を持ったかのように、描きまくった。無限に湧き上がる創作意欲のままに。 続きを読む

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台中

洗濯
台北は猫と人形以上に面白い所が見つからないだろうと判断して台中に行くことにした。
台中に降りると、沢山の出稼ぎ東南アジア人がグループを作ってたむろしていた。
ホテル横のバーのテラス席では、肥えた中年が1人泥酔しており、側頭部から崩れ落ちた。昭和メイクのお水のおばちゃんが二人がかりで起こそうとするも、意識をなくした巨漢の男は支えきれず、見かねて手を貸してあげた。
若者の乗ったおおきな車の後部席に積んだスピーカーからは、ダンス・ミュージックが大音響で鳴らされ、クラブの開店待ちの行列ができている。
日本人だというビンロウ売りの老人が話しかける「これ、美味しいよ」。老人の隣りに座っている台湾人店員が言う「この人ビザ切れて日本に帰らないで、ずっとここにいるんだ」
なんだよここ、村上龍の世界かよ。
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林柳新紀念偶戯博物館

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人形が好きだった。
ぬいぐるみ、アニメフィギュアのたぐいではなく、創作人形的なあれだ。
SMHの球体関節人形特集で、その方面に興味を持った。
すっかり人形熱は冷めてしまったけれど、かつての人形作りをしていた頃の熱情を少し思い出させてくれる場所だった。
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猴硐猫村物語2 俺、南進して

俺、南進したのかは知らない。

猴硐周辺に広がる廃墟が、しとしとと降る雨の中で光る。
道々に案内板があるので、ここも観光地なのだろうけど、全く人がいなかった。
猫も数匹としか会わなかった。犬はいた。
異国の廃墟で雨に濡れながら歩きまわるのは、とても素敵な体験だ。

 

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猴硐猫村物語1 猫にかまけて

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猴硐(ホウトン)という観光地がある。九份からすぐなので、ついでに行くといい。

台湾の退屈さにがっかりしていたのだけれど、猴硐はとても自分の好みにあっている場所だった。

もともと猴硐は炭鉱の町で日本統治時代に主な台湾石炭産出記録を作った。土地の人達は坑道の梁や柱を食い荒らすネズミを駆除するために、沢山の猫を飼った。昭和13年に閉山され、廃墟となったが、近年「猫の村」として村おこしが始まり、静かな観光地として知られるようになった。

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九份でのライブ

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九份の宿では、台湾現地で知り合ったというカップルがいた。

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故宮博物院 九份

台北で行くべき観光名所は何処だ!?
という問いに、多くの人が故宮博物院!九份!と答えるだろう。

 

故宮博物院

故宮博物院の門の前で法轮功がビラを撒いていた。
彼らの撒いてるビラ、大陸のイミグレで見つかったら、面倒なことになるのかな。

中に入ってしばらくして、自分は深刻に落ち込んだ。
壷や書や白菜に対して、審美眼がこれっぽっちもないのだ。
皆が有難そうに眺めているモノの、何がそんなに良いのかがわからない。
北京の故宮博物院は楽しめた。紫禁城を歩きまわりながら美術品を見るシチュエーションが、とても特別な体験に思えたからだ。
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ほんまにオレはアホやろか

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十年くらいの間、ニュースで名前を見る度ヒヤヒヤしていたけれど、ついに水木しげる大先生が鬼籍に入られた。

自分が初めて送ったファンレターらしきものは、コミックボンボン宛の水木しげる大先生に書いた「水木先生、またボンボンでマンガを書いてください」というものだった。物を知らない自分は、水木大先生が仕事をなくして貧乏していたら可哀想だと思って出したのであった。

水木しげる大先生のファンになったきっかけは、アニメでもマンガでもなく自伝だった。
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