日記ブログなので、とても個人的なこと(たとえばスマップなら誰が好き、とか、ムヒで歯を磨いたとか)を書いけばいいので、書く。
ターヘーな絵を載せながら、私の通うデッサン教室の話を書く。
二週に一回、2時間デッサン教室に通っています。独習もしないでその頻度で描いたところで、大してうまくならないのですが。
というか俺はうまくなろうとしているのだろうか。うまくなりたいと感じているのだろうか。
年配の方に混じってじっと絵を描くという行為に酔うことが好きなのであって、絵がうまくなりたいんだったら、一人で世界素描大全でも開いてひたすら模写するだろう。
自分にとってデッサン教室は習い事ではなく、メンタルに直接作用する癒しの場なのです。うまくならない言い訳発見。
定年後の趣味として通う人が圧倒的だけれど、一人、母親に連れられて来ている女の子が居て、まぁ、そういうところに通うくらいだから年齢の割に上手なのだけれど、年齢なりに飽きっぽいところもあり、終盤近くになると、口を半開き虚空を見つめて極めて無防備な面を受講生に無償公開しているので、それをみて笑いをこらえるのも又楽しい。
先生はゆる〜い感じで教えており、「絵っていうのは写実的に描いたり、テクニックを磨いたりというのもある程度必要だけれども、本来その人が持っている持ち味を活かすのが本当は大事なんだと、技巧に走ったが為に自分の持ち味を殺してしまう可能性もあるのだと大学時代に気がつきまして……」の言葉通り、とりあえずその人のいいところを一つ褒め、ここはこうした方がいいんじゃない?まぁ、しなくてもいいけどね、という型を2時間のうち2回行う、と言う指導方法を行っています。
講座を受け始めた当初アンケート用紙が配られ「好きなアーティストは」という欄に「アーサーラッカムとベクシンスキー」という極端な作家2人を書いた。ちなみにこんな絵を描いてます。
そのアンケートを提出した翌週に先生が「君はラッカム好きなんだね。私も好きなんですよね」と話しかけられたのですが、人と会話することになれていない事で有名な自分は「ええ、はい、まあ、いいっすよね!ラッカム!」等とニヤニヤ笑いで言葉をひねり、会話が終了したのでした。今日もビールはうまいし地球が平和だぜ。
で、それから一年近く経ったこの間のデッサン教室の日、ラッカムが押し絵を描いたアリスの原書を持ってきてくれました。
「ラッカムが好きだというので持ってきたよ。」
「ありがとうございます。日本で発売されてるのも絶版なんですよねー」と引きつったニヤニヤ笑いとともに日本語を発声する自分。
デッサンの時間が終わり、先生に「ラッカムの本、ありがとうございました。ではまた次回もよろしくお願いいたします。」と言ったところ、「ら、ラッカムの本ね、……もうなかなか手に入らないからね、汚さないでね。」等と焦りながら苦笑いの先生。
おかしな先生だなと思いつつ、外に出てしばらくして気がついたんだけど、先生、本を貸すなんて一言も口にしていなかった。
今更戻るのもバツが悪いので、アパートに帰った直後、1ページも開かずに、クッションケースに入れ、タンスにしまって、布団をかぶり「うぉぉぉ!なんてド厚かましい人間なんだ俺は!!うぉぉぉぉ!!恥ずかしい!」と呻き、日々を過ごした。
こないだ授業があって、教室に入ると同時に「いやぁ!やっぱりラッカムいいっすね!」と、一回も開いても居ない本の感想を振りまいていたが、先生は「うん、いいよね。ラッカムはね。ほらこういう回り込みしてる小さな挿絵なんかは画集に載らないからね」とにこやかでした。
はぁはぁ。
以上報告終わり。
デッサン教室は先生がスケッチ旅行行っちゃうのでずっと休みなので残念です。
こんな文章、誰が読むんだ。
俺は誰に向けて書いたんだ。