俺、南進したのかは知らない。
猴硐周辺に広がる廃墟が、しとしとと降る雨の中で光る。
道々に案内板があるので、ここも観光地なのだろうけど、全く人がいなかった。
猫も数匹としか会わなかった。犬はいた。
異国の廃墟で雨に濡れながら歩きまわるのは、とても素敵な体験だ。
俺、南進したのかは知らない。
猴硐周辺に広がる廃墟が、しとしとと降る雨の中で光る。
道々に案内板があるので、ここも観光地なのだろうけど、全く人がいなかった。
猫も数匹としか会わなかった。犬はいた。
異国の廃墟で雨に濡れながら歩きまわるのは、とても素敵な体験だ。
猴硐(ホウトン)という観光地がある。九份からすぐなので、ついでに行くといい。
台湾の退屈さにがっかりしていたのだけれど、猴硐はとても自分の好みにあっている場所だった。
もともと猴硐は炭鉱の町で日本統治時代に主な台湾石炭産出記録を作った。土地の人達は坑道の梁や柱を食い荒らすネズミを駆除するために、沢山の猫を飼った。昭和13年に閉山され、廃墟となったが、近年「猫の村」として村おこしが始まり、静かな観光地として知られるようになった。
九份の宿では、台湾現地で知り合ったというカップルがいた。
台北で行くべき観光名所は何処だ!?
という問いに、多くの人が故宮博物院!九份!と答えるだろう。
故宮博物院の門の前で法轮功がビラを撒いていた。
彼らの撒いてるビラ、大陸のイミグレで見つかったら、面倒なことになるのかな。
中に入ってしばらくして、自分は深刻に落ち込んだ。
壷や書や白菜に対して、審美眼がこれっぽっちもないのだ。
皆が有難そうに眺めているモノの、何がそんなに良いのかがわからない。
北京の故宮博物院は楽しめた。紫禁城を歩きまわりながら美術品を見るシチュエーションが、とても特別な体験に思えたからだ。
続きを読む “故宮博物院 九份”
十年くらいの間、ニュースで名前を見る度ヒヤヒヤしていたけれど、ついに水木しげる大先生が鬼籍に入られた。
自分が初めて送ったファンレターらしきものは、コミックボンボン宛の水木しげる大先生に書いた「水木先生、またボンボンでマンガを書いてください」というものだった。物を知らない自分は、水木大先生が仕事をなくして貧乏していたら可哀想だと思って出したのであった。
水木しげる大先生のファンになったきっかけは、アニメでもマンガでもなく自伝だった。
続きを読む “ほんまにオレはアホやろか”
台湾についたのは20時近くだった。
11月なのに、腰掛けたブロックのすぐそばで、ゴキブリが這いずりまわっている。
北京では明日公共の暖房が稼働する、という時期の服装で来てしまって蒸し暑い。
日本人が大好き台湾。
台湾に永住したいわん、等と嘯く大の台湾好きも沢山いる。
期待して北京よりも日程を撮った観光だ。上がりまくったハードルを越せるか台湾。
今日の夜には台湾に。
余った時間でうろうろしてみた。
バスで二時間くらい揺られていただろうか。
北京の兄貴に連れられ、馬に乗ることになった。
北京の兄貴は雑誌のイケメン特集に掲載されるほどのイケメンなのだ。
そんなイケメンが荒馬をいなして乗るのでとても絵になる。
自分はおとなしめの馬を選んでもらって人生二回目の乗馬。
北京の北、河北省まで行った。
バラックのような建物が点在している。
ザハ・ハディドが設計した鳥の巣近くにある「北京中華民族博物館」に行ってみた。鳥の巣はそんな興味がなかったので、遠くからたまたま眺めるだけにとどめた。
民族博物館は雍和宮以上に知名度が低いとおもう。雍和宮は信者の数が多くて活気があったのだが、民族博物館はものすごく静か。いつでもどこでも賑やかな中国国内でこんなに静かだと気味が悪いくらいに静か。観光客が少なすぎる。
のちに、北京にいる中国人に「こういう博物館知ってる?」と聞いたことがあるのだけれど、「なにそれ、知らない。」と言われたことがある。
そんなマイナーな施設なのだけれど、北と南に分かれるアホほど広い敷地に、中国にいる56の民族固有の建物やら衣装やらが実物大で展示してある。
人もまばらな広大な敷地内の建物は全てがイミテーションであり、まるで閉鎖直前の場末のアミューズメントパークに1人迷い込んでしまった様な錯覚に陥る。