北京中華民族博物館

ザハ・ハディドが設計した鳥の巣近くにある「北京中華民族博物館」に行ってみた。鳥の巣はそんな興味がなかったので、遠くからたまたま眺めるだけにとどめた。
民族博物館は雍和宮以上に知名度が低いとおもう。雍和宮は信者の数が多くて活気があったのだが、民族博物館はものすごく静か。いつでもどこでも賑やかな中国国内でこんなに静かだと気味が悪いくらいに静か。観光客が少なすぎる。
のちに、北京にいる中国人に「こういう博物館知ってる?」と聞いたことがあるのだけれど、「なにそれ、知らない。」と言われたことがある。
そんなマイナーな施設なのだけれど、北と南に分かれるアホほど広い敷地に、中国にいる56の民族固有の建物やら衣装やらが実物大で展示してある。
人もまばらな広大な敷地内の建物は全てがイミテーションであり、まるで閉鎖直前の場末のアミューズメントパークに1人迷い込んでしまった様な錯覚に陥る。

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入場者の気配がない。受付の人がいるだけ。

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雍和宮

雍和宮は1694年皇太子の居所として創建され、乾隆帝時代に、チベット、モンゴルとの融和を図るためにチベット寺院となった。
亡命前のダライ・ラマ、パンチェンラマも訪れたそうだ。
長細い境内を歩いて行くと、様々な景観の変化を楽しむことが出来る。いたるところに満州文字と漢字が並んで書かれている。
他の観光寺院とは違う、信者たちの熱心さがあり、強い信仰により支えられていることがわかる。
拝殿は撮影禁止なのでもちろんなのだが、線香が焚かれていたり、建物の外観ですらカメラを取り出すのを躊躇してしまう。
祈る姿は、日本の作法よりも動きが多いためだろうか、誰もが特別な信仰心を持って神様と向かい合っているように見える。

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円明園

円明園は1709年より各皇帝が増築拡張しつつ、やはり1856年のアロー戦争の際、徹底的に破壊しつくされた。
円明園は頤和園の三倍の面積を持つ。
なんて大きいんだ!そしてなんていい天気なんだ!何回言うんだ!
ここも一日では回りきれない。北京に住んで週末に観光するしかないではありませんか。
頤和園行った日なので、到着してしばらく歩いたら夕方になってきちゃいました。
廃墟だけ見てきた。

円明園十二生肖獣首銅像

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頤和園

1750年乾隆帝が母のために作り、1860年に英仏連合軍が破壊して、西太后が巨額の海軍費を回して1884年から1895年に再建。結果日清戦争に負ける原因の一つとなった。1900年連合軍にまた破壊され1924年に政府が直した。
西太后については以下のサイトが読みやすかったです。
不思議館~女王にまつわる奇談~西太后

権力が転がり込んできたので、国が傾こうとも自分の欲望のままに生きた女性、という印象が強かったんですが、実際はどうなんでしょうね。暴君が気まぐれに見せる優しさはとても甘いものですが。

それにしても青空。はは、本当いい時期にいったものです。

宿の標識
宿の標識。

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紫禁城

教科書に乗っている建物の中に入っていくのだ。
ラストエンペラーで見たのとそっくりだ!溥儀が自転車で駆け抜けた道だ!
中国の歴史は良く知らないけれど、沢山の人間が関わり、争ったり、企んだり、毒を盛ったり、首吊るされたり、井戸に放り込まれたり、死んだり、生きたりを膨大な数繰り返し積み上げてきた空気。
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もう、なんて大きいんだ!なんて大きいんだ!なんて大きいんだ!
大きいんだけど、装飾にも抜かりがなくて、頭がクラクラして、中国、すごい。でかい。正直、有名な観光地とか行っても、沢山の人がいて、疲れて、あんまりこう、心が揺れない無感動な人間なんだけれども、このスケール感の中に身をおく体験は、すごかったのです。
一日では回れなかった…。
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毛沢東

APECの開催期間中なので、工場が一斉に稼働を停止し、北京上空は連日突き抜ける秋晴れなのであった。
国内外で問題になっているPM2.5の原因は確実に工場のせいじゃん!と北京市民は思ったみたい。……という話はしたっけ?

このペースでは一年前の日記になってしまうなー。

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SNH48

iPhotoの記録より、2014年10月26日の出来事なのだと知る。

記憶なんてあっという間にかっ飛んでいって、曖昧なものになっている。
記憶に無いことはなかったことだけれど、記憶にあるものも、非常に疑わしい。
そう考えていくと、現在が非常に味気なくなり、飾ってあった未来は鮮やかさをなくしていってしまう。
そうなってはいけないので、人々は桜の森の満開の下で、お酒を飲んで笑い倒し、グズグズに酔いつぶれたり、喧嘩をしたりして、なんとか生きている実感を取り戻そうとしている。(serial experim

アイドルのライブもそうだ。
憂き世の慰めに純粋無垢なる少女を拝み奉る。お布施をすればするほど、徳は積まれ、あこがれの少女たちと握手をしたり写真を撮ったりする機会に恵まれる。
そして高僧達は一心にまじないを唱える。

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